花よりダンゴ式の日本舞踊ブログ

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【はじめのひと口】

日本の伝統芸能の中で、一番最後に誕生したのが「日本舞踊」というジャンルです。それより以前の伝統芸能には、能や狂言、歌舞伎、文楽、民俗芸能などがあります。これらすべてを取り込んで、ほどよくアレンジして出来たのが日本舞踊という芸能です。
さらには文学で言えば、和歌や俳句、文化面では茶道や華道、そして江戸期の遊廓の風俗や生きたあらゆる人々のリアルな生活習慣までを貪欲に飲み込んで出来た……だから、テレビや映画、舞台俳優などが「和もの」をチョイとつまみ食いするにも、一番手っ取り早く幅広く身につく最適なものが「日本舞踊」というわけなんですね。

【2口目は和もので】

ところで、欧米の文化を表す「洋もの」に対し、日本のそれを「日本もの」と言わず「和もの」と呼んでいますが、これは何故でしょうか???
「和」の意味には
①仲良くする。②穏やか。③混ぜ合わせる=和(あ)えるえetc.がありますね。
漢字そのものも、禾(のぎへん)は軍や陣に立てる標識のことで、つくりの口はサイという神の託宣を入れる器のことですから、敵味方や国、異なる価値観を神の前でまとめ上げるという意味があるわけです。洋ものに対し日本の文化を日本ものと言わず、多く「和もの」とするのは、外からのものを吸収しまとめ合わせ変えながら、自分のものに仕立て直す精神をうまく表した言葉になっていると考えられます。

【3口めは大胆に】

その「和もの」の中で、一番最後に生まれ、したがって一番新しいジャンルともいえる「日本舞踊」の名前はいつ命名されたのかを簡単に言ってしまいます。
それは明治40年頃(1907頃)坪内逍遥という人が、西欧の壮大なスケールの音楽劇やバレエなどに対抗するために、能楽や三味線などの異なるジャンルの音楽を1つのオーケストラボックスに入れて、それまであった「おどり」や「まい」の技術を基礎にして、文学的な新しい舞踊劇を作ろうと試みた運動の中で生まれた名前でした。
ここで「日本舞踊と命名」といったのは、現代の日本舞踊の実態と、坪内逍遙の理想としたそれとは必ずしも一致してないからです。
現代の日本舞踊のジャンルには大きく2つの柱があります。1つは江戸の半ばから後半にかけて(1700~1860年代)歌舞伎という芸能の中で演じられたり、酒宴の席などで芸妓や舞妓などが披露した「おどり(をどり)」や「まい(まひ)」などが基礎となった大きな柱のことです。もう一つは、明治、大正、昭和にかけ、さらには現代においても新たに作られた創作舞踊、新舞踊という流れが加わって現代の「日本舞踊」というジャンルが出来上がっています。が、後者は坪内逍遙の理想を受け継ぎつつも、良くも悪くもまだ進化途中なのです。そのため、すでに完成形の能、狂言、歌舞伎、文楽と同様には一緒に語ることが難しくもあります。
そこで、ここではあえて、歌舞伎の舞踊や酒宴お座敷で披露されていた「おどり」や「まい」のみを取り上げ、「日本舞踊」としてその最大の特徴、またそれによって今の日本に、いや世界に何を益することができるか……を皆さんにわかりやすい視点でーー能狂言も歌舞伎も文楽も民俗芸能も1本の串に刺し通したダンゴ形式でーー大胆に味わっていただきたいと思っています。

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